実のところ、俺は『ファイアーエムブレム』(以下FE)に大変な影響を受けている。
1990年、ファミリーコンピュータをプラットフォームに発表された第一作は、最初はとっつきにくそうなSLG(シミュレーションゲーム)として俺の目に映った。絶妙なバランスで名作の評価を得ていた『ファミコンウォーズ』にももうひとつ馴染めなかった俺は、最初は敬遠気味にぽつりぽつりと、極めて適当な姿勢で『FE』に取り組み始めたのだった。
ところが、気がつけばすっかりのめり込んでいた。一面を終えたら、そのまま引き込まれるように次の面へ。敵配置をチェックするだけのつもりが、序盤を練習のつもりで始めてしまい、あら調子いいじゃない? と敵将本陣まで攻め上って撃破&制圧。で、また次面の配置チェックにかこつけたプレイ開始の繰り返し。今までのSLGには感じたことのない吸引力と継続性に戸惑いながら、結局ほとんど一気呵成に最終面までやってしまい……。
そして衝撃を受ける。何に? そう、ユニットそれぞれの“その後”が語られるあのエンディングにだ。
『FE』が初めてだったように思う。このような形で登場人物たちの後日談をエンディングに組み入れたのは。同時に、何となく苦手意識のあったSLGに何故こんなに魅了されてしまったのか、その理由も明確に理解した。ユニットを完全に“個”と見立てることで、感情移入の度合いが尋常でなく高められていたのだ。個々に用意された“その後”の物語は、こうした手法の締めくくりとなる衝撃的なゴールだった。
『FE』がこの第一作でシミュレーションRPGというジャンルを確立したことは論を待たないだろう。間違いなくエポックメイキングであり、以降多くの模倣作品が生み出された。つまりは影響を受けた、なんて話は掃いて捨てるほどあるというワケだ。何も俺が個人的な打ち明け話のように語る必要はない。
しかし、感銘に潤んだ俺の目の焦点がピタリと合わさっていたのは、作品の全体像ではなくあのエンディングだった。当時、俺は心の底から、死亡ユニットを数名出しつつ突っ走った適当プレイを後悔した。全員の後日談が見たいではないか。もしかしたら盗賊のジュリアンが死んでしまっているせいで、僧侶レナのエンディングは素っ気ないのかも知れないと思ったりもした。で、もう一回最初から、のちに『FE』の基本プレイスタイルとなる、ひとりの犠牲も取りこぼしもない“完璧プレイ”にチャレンジする羽目になったのである。勿論、それでもジュリアンとレナの愛育む後日談などはなかったワケなのだが。
この記憶が、俺がプレイステーション『バスタード!! 虚ろなる神々の器』のエンディングを書くにあたって多大な影響を及ぼしていたように思う。登場人物すべてに、生存条件を満たしているか否かでヴァリエーションを持たせた、ちょっと厚めの後日談を――そんな方針を決めて、結果書かなければならないテキスト量がガツンと増えてギュウギュウと首が締まった(笑)。くそう、全部『FE』のせいだったかよ!
と、自分でもすっかり忘れていた因果関係が蘇ったのは、ゲームボーイアドバンスで今年3月に発売された最新作『ファイアーエムブレム 封印の剣』をプレイしていたからであったらしい。
12年前の記憶を呼び覚ます、スタート直後から襲いくる凄まじい既視感。動乱に巻き込まれた優等生タイプの王子と、ステータスの伸びが悪い老パラディン。赤と緑を基本カラーにした好敵手同士の二騎士。装甲は堅いが足が遅くていつも前線から取り残される巨漢のアーマーナイト。緑っぽい髪の弓兵も見覚えがあるし、途中戦士たちを引き連れて登場するスカーフェイスの傭兵も、それから必殺攻撃が得意な長髪美形の剣士も……。
そうなのである。これらは第一作における主要メンバーのキャラクター造形に引っ掛けて作られているのである。物語のシチュエーションは異なるが、そこにあの馴染み深い感情移入済みのユニットたちが再び目の前に現れたような、そんな錯覚を抱かせるオマージュに満ちた設定が随所に織り込まれていた。このかつてのめり込んだ記憶との合致が、一回りも昔に受けた衝撃を鮮やかに蘇らせてくれたのだった。
そして何より、1ダメージの差で明暗が分かれるかっちりとした戦闘の手触りと、数時間かけて攻略したマップの最後に命中率と必殺発生率の確率に負けてリセットを余儀なくされる硬派な仕様は、独特の快感を生み出す極度の緊張と弛緩の繰り返しをたっぷりと味わわせてくれる。まさに『FE』、伝統芸の域まで昇華した厳然たる“ルール”がそこにある。この無情な世界を生き抜くからこそ、俺はユニットが紡ぐ物語に十二年前と同じく、まるで当事者のように魅了されてしまうのだ。完璧プレイにこだわってしまうのだ。
システムはより洗練された。“救出”コマンドは育成が不充分なユニットが前線に立つリスクを軽減し、また機動性の低いユニットに活躍の場を与えてくれる。特定のユニットが隣接することでポイントを上昇させられる“支援”は、感情移入をより強める会話シーンのヴァリエーションを豊富に持つだけでなく、戦闘時のユニットの配置に大きな戦略性を持たせることに成功している。
自分の思い出と思い入れを過大に評価しているわけでは決してない。そう断ったうえで言おう。本作『封印の剣』は、第一作からのファンも、初めて『FE』に触れる向きも確実に楽しめる力作である。ゲームボーイアドバンスのユーザーなら、たしなみとして持っていても良いのではないか。そう胸を張って薦められるだけは、俺は存分に楽しんだ。
ただ、最後に少しだけ注文をつけるなら。
オマージュとしての作品性に囚われすぎて、全体的な物語がいささか萎縮気味であるように感じる。もっとあからさまで攻略困難な“悪”がいてこそ、過度に感情移入を促すシミュレーションRPGはモチベーションが上がるというものだ。ガーネフ司祭や暗黒竜メディウスの強さ憎々しさに、エトルリア堕落貴族どもは遠く及ばない(そもそもこの対比は間違っておりますが)。次作は是非とも、八方から囲んで神将器で刻んでやりたくなるような悪党を!
それからゲームボーイアドバンスだと、電池が幾らあっても足りません。そもそも一マップのヴォリュームからして、時間潰しに外でプレイなんてことができるゲームではないような……(笑)。地球の裏側まで行くような長旅にはいいのかなァ、携帯機。